スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

題詠2009鑑賞(025:氷)

「025:氷」(TB~168)。

025氷 (惠無) (なんでもない一日)
なぜそれが氷屋さんかわからずにひっくり返した三輪車


とても懐かしい匂いのする歌です。
子どもの頃特有の、自分の知識の浅いことからくるいたいけな残酷さ。
ひっくり返されたほうはおそらく覚えていないはずなのに、あのときの三輪車はかき氷機に見立てられていたことに気付いた時の、ひっくり返したほうにいつまでも漠然と残る後悔の念。
おとなになってふと思い出す、あの時の子はどうしているだろうという感覚と、自分は優しくなかったという想い。

人は、辛かったことを経験したとき、それらにちゃんと向き合い反省すれば、人に優しくできるようになります。
人のせいにしないこと。人を恨まないこと。
この積み重ねが自らに幸せをもたらすと、私は信じています。


~もうひとつの昭和風解釈~
昭和40年代のころ街中には氷屋さんがあり、大きい氷をのこぎりでカットし、オート三輪の荷台に積んで配達するという光景がありました。
そのようなことから、ダイハツミゼットなどのオート三輪には、氷屋さんのイメージがあります。
その子は三輪車の後部に小さい箱を置いて氷に見立て、氷屋さんごっこをしていました。
でもわたしには、三輪車が氷を積んだオート三輪とはつながりませんでした。
仲良く遊んでいたのに、遊びが理解できなかったわたしは三輪車をひっくり返しました。
そのような子どもがそのまま大人になると、星一徹の称号が授けられますw

なお、オート三輪は よく横転したと言われ、この遊びは力学的には正しいのですw

題詠2009鑑賞(024:天ぷら)

「024:天ぷら」(TB~169)。

024:天ぷら(笹本奈緒) (ニダンカイサセツ)
るすばんの時のぶつだん キョンシーの天ぷらくらいおそろしかった


これは怖い
夜中に一人で読むんじゃなかった。
私は怖がりなのでキョンシーだけでも駄目なのに、それがこともあろうに巨大天ぷらになって、どんっ!どんっ!ってこちらにやって来て、噛まれるとキョンシーになってしまうという・・・
でも、キョンシーって、熱した油をくぐらせても死なないのでしょうか?
あ、すでに死んでるって?

ほんとに恐ろしい歌でした。
どれぐらい恐ろしいって、それはもう留守番の時の仏壇ぐらいw

題詠2009鑑賞(023:シャツ)

「023:シャツ」(TB~176)。

023:シャツ(富田林薫) (カツオくんは永遠の小学生。)
青いシャツのひと泣きながら待っている変わらない赤の交差点


悲しくなる歌です。

あの夜、君は早く家に帰りたいと言っていた

君は、早く家に帰りたいのに、信号が赤であることに不満を漏らし始めた
私はなだめるしかなかった
なかなか変わらない赤信号に業を煮やし、ついに君はしゃがみ込んで泣いてしまった
顔じゅうぼろぼろにして泣く君に僕も悲しくなり涙が出てきた
君は赤いのを青に変えると言って、信号柱に登ろうとし始めた
僕は泣きながら君の衝動を抑えた
歩行者信号はようやく青になり、君は小走りで家に帰って行った

僕は君に何もしてあげられなかった

後日、仕事が終わったら一刻も早く家に帰りたいという理由を君から聞いた
僕の君を支える方向性が見えてきた
君の前ではずっと笑顔でいようと思った
君を二度と悲しませたくないと、心からそう思った



変わらない赤信号はありません。
明けない夜もありません。
でも、君の望みが早く帰ることであるのなら、僕は一緒に青信号を待つのではなく、君と一緒に赤信号で渡るべきだと思ったのです。

歩行者信号の青いとこって、歩いている人でしたっけ? それとも背景の方でしたっけ?
それよりも、あれは青というよりも、どう見ても緑ですよねw


題詠2009鑑賞(022:職)

「022:職」(TB~169)。

022:職(間遠 浪) (少女らせん)
「職業が家出少女のともだちがあたしを少しこわしていった」  model:相原玲

とても心惹かれました。
少し心乱されました。
この歌の魅力は何なのでしょう?
下手に突っ込んではならないほどに完成度の高い歌です。


作者の間遠浪さんは、題詠blogに投稿する歌のすべてを著名な女性のイメージで詠んでおられます。
この歌のモデルの相原玲さんが「家出少女」のイメージなのか、「あたし」のイメージなのか、それとも「職」のお題で詠んだ歌のイメージが相原玲さんだったのか、私には解読できませんでした。
ちなみに、021~030の歌は、「大かいじゅうロリイタ」というカテゴリーに分類されていますw

本日は、この歌について観賞してみることとします。

自称「家出少女」の友達ができ、共に過ごし彼女のことを知るにつれ「あたし」が少し壊れてきます。
出会った時から壊れてくるまである程度の時間の経過があるにもかかわらず、彼女の職業は「家出少女」であるというのです。
出会った当初は家出少女であったとしても、数日か数ヶ月かわかりませんが時間の経過した現在の職業は「元家出少女」と言うべきでしょう。
でも、そこをあえて「職業は家出少女」と言い切ることで、時間軸の崩壊がこの歌にはあると思うのです。

また、家出をしてきた友達を私は受け容れたはずだったのですが、あたしが少し壊れたということから、自分とは違うものに対する憧れなのか拒絶なのか、彼女とあたしとの間には見えない距離の伸縮が示されています。

そして、彼女によりあたしの心が壊されたということ。
現在の彼女をただ見ていれば、また、夢を語り合っていればよいものを、自分にはどうすることもできないことで自分を責めてしまったのでしょうか。


私は、「職業が家出少女」の部分を考えてみました。
何で生計を立てているのでしょう。
路上で自分の不幸な身の上を吟じているのでしょうか。
深夜のコンビニで黙々とバイトをしているのでしょうか。
さして強く生きてはいないような状況ばかりが頭に浮かびました。
私の心が、少しこわされました。

なるほど、読者参加というのが適切かどうか分かりませんが、この歌はそういった読んだ人の壊れるような歌だったのですねw
そこがこの歌の魅力なのかなと思えました。

題詠2009鑑賞(021:くちばし)

「021:くちばし」(TB~181)。

021:くちばし(月下燕) (a swallow under the moonlight)
くちばしもしっぽもあなたにあげましたただわたしだけいまはそれだけ

最初にお断りしておきます。
本日の観賞記事は、決して本心ではなくて、あくまでもひとつのそういう考え方もあるということでお読みください。
私はお子さまなので、読者の皆様にうまく伝わらないかも知れませんがw


命題 : 男女の間に友情関係は成り立つのかということ。

この歌において二人の関係はまだ浅い状態なのでしょうか。
くちばしやしっぽは、鳥の異性に対する愛情表現をとりもつ器官と言えます。
歌におけるわたしは、自分のくちばしとしっぽを相手に帰属させました。
それは、直接触れ合おうが触れるまいがどちらでも良い「何らかの方法」で、自分の身体の本来大切な一部を相手のものと思うことにしたのです。
そのように思うことにより、自分の意思で相手を奪うことはできなくなります。
相手の意思だけを尊重する状態が出来上がり、そこにはこちらの下心や肉体関係の無い、相手のことを思いやり支えたいと思う、心の固いつながりが芽生えるのです。

この「何らかの方法」は、肉体の触れ合いでも良いと思うのです。
でも、それはあくまでも手段のひとつであって、お互いを理解し信頼し、いつも一緒にいて、それぞれが高められて行く、そういった友達のような関係を目的とすれば、そこに男女の間の友情があるのかもしれません。


なんだかとりとめのない鑑賞になってしまいましたw
現実感からもほど遠いしww
男の身勝手な理論だし><
でも、自分から求められなくても、いまはそれだけでも、相手のことを正確に見てひとつひとつ問題を克服して行ってくださいね。(短歌のわたしへ)

題詠2009鑑賞(020:貧)

「020:貧」(TB~184)。

020:貧(鹿男) (もえないゴミ箱)
浴衣から見える
そいつを期待して
富豪にハート渡す貧民


私は、円周率(パイ)の先頭十桁を暗記しています。
十桁程度では、煩悩を払う力の無いことを思い知らされました。
やはり、円周率は二百桁ぐらい暗記していないと、いざという時に役に立ちません。
多くの国民が3桁までしか知らない日本国は、この先どういう道を辿ってゆくのでしょうか?


ところで、鹿男さんのてっぺんの短歌、てっぺんになってないです(笑)

題詠2009鑑賞(019:ノート)

私は日産ノートに乗っています。
納車の日にはそわそわしました。

NOTE

神戸ナンバーなので、新型インフル騒ぎの頃は、皆が車間距離を開けてくれました。
燃費はカタログ値ぐらい出るので、原油高の時は助かりました。
でも、ハイジうざい><



近ごろの日産車は足回りが硬くて、3時間も乗っていると翌日は1日中腰が痛くなります。
筋力を鍛えなければ、家にも帰れません。
でも黒い車は、毎週洗うために家に帰らなければならないのです><


クーラー、カラーテレビ、マイカー。
かつて高度成長を遂げた日本人にとって、これら3つのCがステータスシンボルでした。
社会的な地位を獲得し、初めて新車を購入することとなった私。
いろんなディーラーを回り、カタログと見積りをもらって、試乗、金額交渉。
全ては納車を迎えるまでの儀式であり、その日が来れば身の丈の夢が叶うのです。

「019:ノート」(TB~187)の観賞は、この歌をおいてほかありませんでした。

019:ノート(柴田匡志) (スタートライン)
初めての新車は日産ノートにて納車の日にはそわそわしてる

題詠2009鑑賞(018:格差)

こんにちは、陸王です。
昨年の題詠blog2008から読んで頂いている方はご存知だと思いますが、私は光の国から地球に短歌を詠みにやってきたウルトラマンという設定になっています。
詳しくは、当ブログ左カラムの下の方にある「リンク」の、「題詠blog2008(陸王)」をクリックすれば、昨年の参加作品を一括でご覧になることができます。
そこでは、「陸王」名前の由来にも少し触れています。

時代がまだ昭和だった頃、私は姓名判断の本を3冊ほど購入し、NECのPC88シリーズのパソコンでプログラムを組んで、とてもゴージャスな画数を持つ名前の最適解を求めました。
男の子が生まれた時「陸王」という名前を付けようと思ったのですが、親の反対に遭い、結局画数の同じさらにゴージャスな名前にしたのでした。

そのようないきさつもあって、本日は「018:格差」(TB~196)の鑑賞に当たり、DILI検初段を持っておられる松原なぎさんの作品を選ばせてもらいました。


018:格差(松原なぎ) (日向水(題詠blog2009)
天地格差を説く指に輪が光りせんせいわたしけっこんします

「格差」というお題、ともすれば暗いテーマとなってしまうなかで、とてもあたたかいものを感じる歌です。

天格とは、姓の画数の合計で、一族や晩年の運勢を示すようです。
地格は、名の画数の合計で、人生の前半部分の運勢を示すとされています。
天格と地格が同数の場合は運気が増幅し、特に凶数であった場合は注意が必要なため、天格と地格との差は重要な意味を持つのです。
姓名判断の先生にいろんなことを言われたのでしょうか。
指に婚約指輪をはめた状態では、新しい姓で占ってもらった方が良いと思いますw

もうひとつ、
もうすぐ変わることになる新しい名前で、書物を右手に姓名判断をしているという状況です。
ちょっと良い結果が出たので、嬉しくなりました。
あのひとについて行けると、心から思えるようになりました。
今の気持ちを忘れないでいよう。
宣誓します。
明日のわたしに。

題詠2009鑑賞(017:解)

「017:解」(TB~191)。

017:解(伊藤真也) (クラッシュボク)
埋められない方向性でおっぱい部・部長まさかの解任劇  

大きさとか形とか向きとか張りとか感触とかに全く拘りは無いのですが、人は私のことを「おっぱい星人」と言います。ほんとは別の部位のフェチだったりするのですが、否定すれば場が白ける可能性が高かったので、既成事実となったまま今に至ってますw
だからといって、この歌を「017:解」で一番のお気に入りとしてしまった私は、いったいどのように鑑賞すればよいのでしょうか。


朝のワイドショーで視聴率を取ろうと思ったら、「皇室」、「相撲」、「殺人事件」、「解任劇」を扱えば良いとされています。

『その甘美な響きを持つ世界の裏側で今、衝撃の事実が明らかになる!』
ヲグラさん 「昨夜遅くに突然入ってきたおっぱい部長解任のニュース、国民の誰もがわが耳を疑い驚きましたが、現場からいつものイトウさんがレポートします。イトウさん、イトウさん。」

イ 「はい、イトウです。私は今、解任の発表があって一夜明けた部長宅の前にいます。普段は閑静な住宅街のなかにあるおっぱい部元部長の自宅前は多くの報道陣でごった返し、近所の人は外に出ること無く、家の中でワイドショーをご覧になっているものと思われます。先ほどインターホン越しに近所の人にインタービュしてみました」
近所の人 「もう、あの人がって感じで驚きました。おっぱい部って何なんですか?」(プライバシー保護のため声を変えてあります)
イ 「お聞きのように、解任されたおっぱい部元部長は、近隣の住民の理解を必ずしも得られていなかったようです。それでは、昨夜行われた解任記者会見の模様をご覧ください。」
元部長の談話 「おっぱい星人で何が悪い。普通の成人に戻ります。あなたとは違うんです。」
イ 「元部長のとびきりの笑顔が印象的でした。以上、現場から、いつものイトウがお伝えしました。」

ヲグラさん 「つかみどころの無い事件で、言葉が見つかりません。真相解明を待ちたいと思います。」


さて、話がヨコミチにそれてしまいましたが、ここらで伊藤真也さんの歌を鑑賞してみることとします。
この歌は、企業とかスポーツとか政治とかの首脳陣の間で方向性の違いが顕在化し、その溝が埋められなくなって、それらのことが水面下で起こっていたために国民などから見ればまさかの解任劇となったことの驚きを詠んだものです。
ここで、「おっぱい」は、「(顔とかを)埋める」と、「(人によって多種多様の)向き」に掛けられています。
それに「部」を付けて得体の知れない「おっぱい部」とすることにより、「部長」→「まさかの」→「解任劇」と、妖しさを保ったままに理想の形で繋がるのです。
私が詠めば、「おっぱいがふたつ埋まらぬ方向で・・・」のようになってしまって、面白くも何ともありません。
この歌は、トップの解任劇の茶番性が良く表れた、とても面白い歌です。
「部長」の所は、理事長でも監督でも党首でも大統領でも何とでも読み替えが可能で、何度も楽しめました。
伊藤真也さんは、凄い感性とテクニックを持つ歌人だと思います。


「おっぱい部」を日本語入力でIMEが一発変換してくれることが、少し哀しいw

題詠2009鑑賞(016:Uターン)

「016:Uターン」(TB~186)。

Uターンという言葉には、次のようなイメージがあります。
里帰り、地元就職、折り返し、やり直し、離れる、戻る、回転・・・
いわば寿司のようなものですw

このお題は結構難しいものです。
Uターンの本来の意味は自動車の転回で、少し広げて地元就職や帰省ラッシュの意味で使うぐらいなら構わないのですが、やり直しや元来た道を戻るのにUターンという言葉を当てはめるのは、よほどの斬新性が無い限り短歌としての面白さが出て来ないように思えました。
言葉の必然性とお題消化のジレンマに陥りながら、皆様の作品の鑑賞を進めました。
さすがに、面白いと思える短歌がいくつかありました。
本日のターゲットは、原田町さんの作品です。

016:Uターン(原田 町) (カトレア日記)
カーナビの言うこときかぬ君ゆえにUターンを余儀なくされて

基本となるストーリーは、

『カーナビの言うことを聞かなかったばかりにUターンを余儀なくされてしまった><』

そこに、「君」を配置することにより、短歌は大きく変貌を遂げます。

『僕の言っていることはあながち間違いではないと思っているんだけど、君は感覚で「右に曲がる」って言うものだから、結局行き止まりで後戻りしなければならないはめになる。それでも、純粋な君が好きだから、君と一緒なら僕はこの湾岸通りを何度往復しても構わない。』

「Uターン」の意味を道路交通法に忠実に従いながらも、「Uターン」という言葉の意味が無限に広がる、とても面白い歌だと感じました。

題詠2009鑑賞(015:型)

「015:型」(TB~171)のお題の歌、例によって片っ端から読み進めました。
素晴らしい歌がたくさんあって、選ぶのに悩みましたw
なお、いろんな人の短歌に触れたいので、今のところはお一人様一回とさせて頂こうと思います。

今日は、駒沢直さんの作品です。

015:型(駒沢直) (題詠blog参加用。)
型落ちの冷蔵庫から聞かされた彼女が死んだほんとの理由


何だか、懐かしい気がして、それが気になってネットを検索してみました。
ヒットしたものの中に、お目当ての記憶がありました。
出典は分からなかったのですが、以下のような都市伝説でした。

アメリカで巨大な冷蔵庫の中に入り清掃をしていた作業員が閉じ込められた。
翌朝、冷蔵庫の扉が開かれた時、作業員はすでに凍死していた。ところが冷蔵庫の電源は切られていた。彼は存在しないはずの寒さを感じているうちに精神の作用によって体温が下がり、ついには凍死してしまったのである。

医者が出した偽薬で症状が改善されることをプラシーボ効果といい、逆に薬を出す時に嘘の副作用を告げるとその副作用が出ることをノーシーボ効果という。この話は後者が極端な形で現れた例である。


「思い込み」で人は死ぬものなのでしょうか?

さて、話が大きく逸れてしまいましたが、短歌の鑑賞は謎解きではありません。
作者の言葉の選び方や驚きの発見に感動し、読者の心を豊かにするものです。
ということで、私の心をノックしたこの歌を、真面目に鑑賞することとします。

この歌のポイントは、「型落ちの冷蔵庫」をどう扱うかということだと思います。
型落ちの冷蔵庫には、買い換える、リサイクル料が発生する、電気を良く食う、物が腐る、うるさい、別れ、昭和、子供の貼ったシール、等々、いろんなイメージが浮かび上がります。
ここで、「型落ちの冷蔵庫から」は、開けると中から白煙の立ち上る玉手箱のようなもので、「長い時間ののちに」を意味するものとしてみます。
長い間「ほんとの理由」が隠されていたのであれば、彼女の死因は、隠しておきたい病気や自殺だったのでしょうか。
隠し事は、する方もされる方も悲しいものです。
でも、仕事に尊卑が無いのと同様、一生懸命生きていたのだから恥かしい死なんてものは無いのです。


後になって真相を聞かされるという経験、私にも何度かあるのですが、それが「許し」である場合が多くあります。
せっかく許してもらっても、過去に誰かを責めたり恨んだりしていれば、後悔に繋がるだけです。
冷蔵庫を手放したことを誰かのせいにする必要は無く、すべてを受け容れて、相手を尊ぶことが大切だと思うのです。

以上、思い込みのはげしい鑑賞記事をお届けしましたw

題詠2009鑑賞(014:煮)

「014:煮」(TB~177)。
重複投稿を除いて172首の歌のほとんどが、何かを煮るものでした。
そこで、歌中における「煮」の使われ方について、その傾向を分析してみました。

①野菜や魚など、食べ物を煮た歌 : 58首
②食べ物以外の何かを煮た歌 : 28首
③「煮」という漢字を含む名詞を詠み込んだ歌 : 45首
④煮えた想いや煮詰まった状態を表わした歌: 35 首
⑤その他 : 5首
⑥不明 : 1首

感覚だけで分類したのですが、良く解らなかったのが1首ありまして、今日はその歌について鑑賞してみたいと思います。

014:煮(ほきいぬ) (カラフル★ダイアリーズ)
どれくらい煮込んだだろう裏道の白が眩しい小さな部屋で

作者は、ほきいぬさん。私の短歌の師匠の一人ですw
普段のほきいぬさんは、ノサカ レイさんに負けず劣らず恋の歌人なのですが、この歌では「裏道の白」の解釈に困って、何を煮たのか良くわかりませんでした。
じっくりと読んでみましたw

先ず、172首のなかで最も多かった「①食べ物」と仮定してみました。
「どれぐらい煮込んだだろう」に、「裏道」と来るので、「夕暮れ近く、こちらのお宅では台所で煮物をしていて、その湯気が家の外まで漂い、裏道をとおりかかったら野菜をよく煮込んでいる香ばしい匂いがした」という情景が浮かびます。
と、くれば、「白が眩しい」は「民家から漏れ出る湯気に西日の当たった状態」のような感じで、「小さな部屋」は「台所」ということになります。
孤高の偉大な歌人、寺山修司氏が晩年「のぞき」の罪で検挙されました。
取り調べに対して彼は「路地裏の探索をしていただけだ」と答えたとのことですが、「家の窓の明かりの下の温かい家族団欒の存在を思い、憧れの感情から他人の生活を覗こうとしていた」など、いろいろな解釈があります。
「白」は作者本人でもあり、ほきいぬさんの歌には、決して恵まれた少年時代ではなかった天才詩人、寺山修司氏の世界が窺えるのです。

でも、この解釈は多分間違いw
ほきいぬさんの意向とは全く違った方向だと思います。

日本の標準的な家屋の間取りは、南側にリビングや客間を配し、台所は西側や北側に追いやられることが多くあります。
ここで、「裏道の白」。
裏道に何か白いものが置いてあるというのであれば読み手の想像の域を越えていますので、ここは、(夏の)日差しが反射する路面の白と考えます。
そうであれば、「裏道」は建物の陰にならない南側と考えるのが普通ですが、小さな部屋は南側に面していることになり台所では無いのでしょうか。
また、「白い道」が砂地であるとした場合、ほきいぬさんは日本海側にお住まいだったかと記憶がありまして、北側の裏道の白が眩しいという表現が解せません。

以上の考察から、「小さい部屋」は南側に面した部屋で、そこは台所では無いので、煮込んでいたものは■・・・
なるほど、なるほど。

解りました。
煮込んでいたのは「目覚まし時計」で、正解は「②食べ物以外の何か」ですねっ

続きを読む

題詠2009鑑賞(011:嫉妬~013:カタカナ)

「嫉妬」について、私は鈍いのであまり感じることがなく、作品を鑑賞するだけのために意識を高揚させるのもどうかと思ったのです。
それに加えて、前回の私の観賞記事の最後に、「短歌は一首だけを取り上げて鑑賞するものでもない」と書いてしまいました。
いろいろと考えた挙句、011~013の三首まとめて鑑賞してみようかと、
思いついてから早十日間(笑)

「011:嫉妬」(TB~196)。
「012:達」(TB~183)。
「013:カタカナ」(TB~180)。

「嫉妬」という感情は、短歌のお題としても、生きてゆくに当たって実践するにしても、たいへん難しいテーマだと思います。
また、「達」というお題。私は発想が貧困なので「友達」しか思い浮かばなかったのですが、この「友達」にしても、宿敵未満から恋人以上まで、たいへん守備範囲の広い単語だと思うのです。
そして、「カタカナ」に至っては、十人十色の「カタカナ」に持つイメージがあって、読み手泣かせのお題と言えるでしょう。

本日の記事では、私の心に三連発で響いた歌の一部を鑑賞したいと思います。


先ず、蓮野 唯さんの歌。
連続鑑賞するにはこの人の作品無しには語れないという、前回のお題も合わせて詠み込んでおられます。

蓮野 唯) (万象の奇夜)
『嫉妬する程には好きになってない言い聞かせてる夕暮れの街』
「夕暮れ」は、街灯に灯が点りはじめる時間帯でしょうか。そこで、あのひとと並んで歩いている人の顔は遠くて見えませんが、わたしはその場に立ち尽くします。
そんなに好きなわけじゃないと言い聞かせるわたし。
嫉妬なんかしていないと言い聞かせるわたし。
myself
でも、それが嫉妬であることを唯一知っている夕日は、その姿を膨張させながら静かに沈んでゆくのでした。

『しっと(嫉妬)りと口溶け甘い罠を張る乙女達は恋の狩人』
この「しっと」の使い方、最高です。あ、お題は「達」でしたねw
「乙女」を複数形にすることにより、すべての言葉の意味が広がりを見せて、やはりこの歌は「嫉妬」の歌なのだと思ってしまいましたw

『友達をトモダチと書く切なさよカタカナ程度に軽い関係 』
ほんとに「トモダチ」とカタカナで書くと切なくなりますね。
この歌は、言葉の選び方や並べ方がとても計算されていて面白くて、勉強になりました。
何度読み返しても、味わい甲斐のある歌ですw

蓮野 唯さんの三首、甘い、酸っぱい、ほろ苦い、牡蠣フライのような食後感で心が満たされました。
たいへん難しいお題であるにもかかわらず、いずれの歌も落ち着きを感じさせるものでした。
私は落ち着きが無いので、こういう歌は大好物です。


なんやかんやで始めた三首読み、早くも意識が朦朧としてきました。
そのようななか、三十一文字の中に答えが明示されていて、読後スッキリ、頭を悩ませることのない歌が目にとまりました。
mintoさんの作品です。

(minto) (@100@)
『デパートに購ひしチョコ嫉妬など練りこめたるか深き味はひ』
バレンタインデイ用のチョコレイトをデパートメントストアで買ってきて、自分用のものを食べてみたら材料に何を使っているのか思いのほか味わい深くて、いろんな想いの混ざった嫉妬もチョコのようなものであろうと思った。
『それとなく安心をせり友達の彼は好めるタイプと違ふ』
友達が付き合っている彼は私のタイプではなくて、友情を壊してまでも奪い取る必要はないので、ちょっと安心w
『ふりがなを付けたるときはカタカナに その恋叶ふと占はれたり』
この歌は、カタカナで振り仮名を付けることの必然性が下の句で驚くことに恋占いのお告げだったという、殺人事件の動機を探偵が明かすときの(発見の)面白さがあります。
この発想は凄いと思いますw

これらの歌をじっくり読んでみました。
先ず、「嫉妬」の歌。
第一印象と違う解釈がいくつかできました。
①自分は作るだけで貰えないチョコレート職人の嫉妬を詠んだ歌。
②デパートの地下食料品売り場の品物は、独特な香辛料などを使っているのか、高級感を売りにして少し高い単価設定である。(美味しいかどうかは別としてw)
③買ってきた板チョコを溶かしただけで手作りチョコと言いきれるのは、やっぱ愛情だわw
時節柄、バレンタインチョコを詠んだ歌なのでしょうが、歌のなかで「彼氏」のことを記述するのは「嫉妬」という言葉だけです。でも、彼氏から見れば「嫉妬」を貰ったとは夢にも思わず、ホワイトデイのお返しを探しにコンビニエンスストアに向かうことでしょう。

次に、「達」の歌。
この歌を読んだ3回目に、
「一緒に居て安心できる彼(友達扱い)は私がのめり込むタイプの男性ではないと思うので、腐れ縁的に友達関係を続けてきたし、これからも続けてゆくことができると思う(根拠無しw)」
と、解釈してしまいました。
でも、言葉の選び方から見れば、こちらのほうが合っているような気がしますし、未来も明るく感じるのです。

そして、「カタカナ」のお題。
この歌、とても好きです。
だいたい、そのような状況になることは無くて、そのような占い、無いでしょw
でも、私は信じやすいタイプなので、朝のテレビの占いコーナーが
「おひつじ座の人は今日、婚姻届にカタカナでルビを振るとその人と結ばれますw」
という結果だったら、自分が既婚者であるのも忘れて実行してしまうと思います。


さて、本日紹介する最後の歌人は木下奏さん。
ようやく題詠blog2009への参戦を表明されました。
お待ちしてましたw

木下奏) (ブログ・キ・カーデ - 木下奏 blog)
『「嫉妬する?」「ううん、しないよ」その言葉パズルゲームみたいなものだ』
『「私達きちんと息して生きている?」毎日呟くキミが正しい』
『カタカナが苦手なキミにひらがなで「あいしてる」と言う左脳のダンス』

木下奏さんは、ほぼ完成された感性の歌人だと思います。
彼女の歌には、意味が明確なものと意味が不明なものがあるのですが、いずれのものにしても意味は重要ではなくて、三十一文字に込められた「心」を感じ取る必要があると思うのです。
心の共有や心の受容を楽しむもので、これらの歌を不思議な世界と受け取った時点で読み手の負けになります。

今回の観賞記事では、011~013の三首を採り上げましたが、偶然三首とも対話形式をとっています。
でも、「わたし」と対話しているのは「キミ」ではなく、頭の中のホムンクルス(小人)なのです。
「ホムンクルス」は心理学の用語で、頭の中にはもう一人の自分(ホムンクルス)がいて、それが自分の思考や行動を監視したり、調節したりしているというものです。ホムンクルスを意識することにより、自分で自分の状態を客観的に見つめモニタリングすることが大切であると言われています。

「嫉妬」の歌。
本来とるに足りないものであるべき恋人たちの会話の題材に、両者のバランスを脅かす可能性のある「嫉妬」という単語を選んだ質問をしてしまったのです。
しかしながら勇者は臆することなく、宝物殿の扉を開けるキーワードを唱え、霧のダンジョンを見事クリアしたのです。
「しかし、お姫様はここにはいません」と、中に居たキノコが教えてくれるのでした。
人生楽しく生きるにはそれなりの機転が必要になる場合があって、ゲームクリアにはその積み重ねが大切なのだと思います。

「達」の歌。
まっとうに生きていることを毎日誰かに確かめたくなること、ありますよねw
とても前向きな、生きる勇気が溢れてくる歌です。

「カタカナ」の歌。
私は典型的な右脳人間なので、言語・算術・短期記憶を司る左脳をいちど踊らせてみたいものです。
でも、この歌では、私の右脳がちょっとだけ怪しいステップを踏みましたw

木下奏さんの短歌は、読んだ瞬間からとても心地良いものを感じます。
彼女の歌は、とても不思議な世界です。
あ、私の負けですww

題詠2009鑑賞(010:街)

「010:街」(TB~187)。

010:街(ノサカ レイ) (のーずのーず)
少しずつ街を追われていったのです 最後のグスクも失いました


ノサカさんは、私の短歌のお師匠さんです。
ノサカさんがブログで短歌を公開しているのを見て、私は短歌の世界に右足を踏み入れました。
ノサカさんは常々、「短歌は元来、恋文である」と言っています。


さて、グスクとは、沖縄ことばで「城」のことです。

1609年、薩摩藩は明(当時の中国)との交易利権を狙って琉球へ侵攻、3月26日に沖縄本島に上陸し、4月1日には首里城にまで進軍した。4月5日に首里城は墜ち、琉球王国は薩摩藩の付庸国となった。
その後も琉球は独自の国と文化を維持していたが、1871年の廃藩置県によって鹿児島県の管轄となり、1879年の琉球処分により沖縄県が設置され、王統の支配は終わった。
第二次世界大戦では、1944年10月10日の激しい空襲によって那覇市の90%が壊滅し、1945年4月1日に米軍は55万人の兵力で沖縄本島に上陸し、すさまじい砲撃と空襲を加え進攻してきた。そこでは壮絶な地上戦が行われ、多くの一般人も戦闘に参加し日本軍と共に亡くなった。実質的な戦闘は7月4日に終了し、9月7日に降伏文書が取り交わされた。(出典:Wikipedia)


陸王作の突然詩「弁証法」

わたしが恋をするなら、ヘーゲルのような恋をするでしょう。
家に帰ってひとりになったら、あのひとのことを考え続けることでしょう。
あのひとが、わたしのことを世界の誰よりも好きで、
あのひとが、わたしのことを世界の誰よりも嫌っていて。
でも、このような恋は、恋とは言えないのでしょう。

わたしが恋をするなら、ヘーゲルのような恋をするのです。
家に帰ってひとりになったら、あのひとのことを考え続けるのです。
あのひとと、いつだって一緒にいることができて、
あのひととは、滅多に会うわけにはいかなくて。
あ、これなら、恋かな。
心が通い合っているのを確かめることができたら、恋と言えるのかも。

あのひとがわたしの心のなかにどんどん入って来て、
あのひとの心が私からどんどん離れて行って。
でも、楽しかったことは忘れても、幸せというものは忘れることはない。
いつだって、君と一緒に歩く。


さて、恋の歌人 ノサカ レイさんの「010:街」の歌。
大切なものをひとつまたひとつ失ってゆくことの哀しさが読み手の心を打つ、たいへん素晴らしい歌だと思います。
これを恋の歌であるとした場合、上の詩の一部分に相当するのでしょうか。
短歌は、一首だけを取り上げて鑑賞なんてできないということです。

参考記事:ヘーゲル弁証法(Always Walking with Yu)

題詠2009鑑賞(009:ふわふわ)

これまでに投稿された「009:ふわふわ」の192首の歌を読んで、「ふわふわ」ということばについて考えてみました。

医学的に言えば、平衡感覚の異常。
でも、「ふらふら」とはちょっと違うものです。

五感で言うならば、
味覚:甘い、甘いんだよ
嗅覚:無臭、もしくは小さい頃に過ごした町の匂い
視覚:エクトプラズムのようなもので、見える人にだけ見える
聴覚:摩擦によるエネルギー損失の無い所に空気は振動しません
触覚:押せばわずかな力で変形するとともに反発があり、指先に神が宿るという

身長:不定、体重:軽い。
感覚で捉えれば、「優しい」とか「幸せ」のようなものでしょうか。
このような得体のしれないものである「ふわふわ」、いったい何だろうという私の気持ちにぴったりな歌がありました。


009:ふわふわ (井手蜂子) (蜂歌/Hello,Mr.Darkness.)
2メートル先のworldendにはふわふわwaraw異世界のひと

小学校からの帰り道、普段はあまり喋ったことの無い不思議ちゃんから、なんだか訳の分からない「なぞなぞ」を出されたような感覚。答えを訊くことのないまま大人になってしまったみたいな、そのような気持ちにしっくり来る歌でした。
歌全体からふわふわの不思議がふわふわと漂ってきました。

弓道には「目付け」という用語があって、立った場合は約4m、腰掛けた場合は約3m、坐った場合は約2mの床上が目のつけどころとされています。相手や物を見つめることは、対象に心が集中してしまって心身がおろそかになります。「目付け」は、自己を見つめることにより場を掌握することで、その後の行動や結果に大きな影響を与えるのです。
「わたし」のそのような2メートル前には、「フォッ、フォッ、フォッ」とfriendlyにあいさつする等身大のバルタン星人がいる。
「waraw」という単語ひとつだけでも、ごはん3杯行けました。

2メートル離れているから冷静に相手を見ることができるのであって、相手を受け容れることへの不安と自己を見失う可能性への不安から、2メートルは確保しておきたいとの決意を示す「worldend」。
第三種接近遭遇をこれほどまでにあたたかく詠むことのできるhachicoさんなら、この先、何があっても大丈夫ですw

題詠2009鑑賞(008:飾)

「008:飾」(TB~189)。

「飾」のお題、素敵な歌が多すぎて、一首だけ鑑賞するとしたことを早速後悔しています。
さて、今日ご紹介する歌は、藤野唯さんの作品。

008:飾(藤野唯) (Sugarmint)
わたしだけの熱でここまで永らえてくれた恋に白椿を飾る


わたしのおかげなのよ。
わたしだったから2年間もったようなもので、ほかのひとなら3日と続かなかったんだから。
ほんと・・・・感謝してね。
こんなにいい子は、めったにいないんだよ。
わたし、自分に月桂冠を贈るわ。
2年間、いっしょけんめいに走ったわたしを、ごほうびで飾るわ。
偉かったでしょ、わたし?
楽しかったでしょ、あなた?

わたし、、ひとりでなにしてるんだろ・・・・

白い椿の花言葉は、「申し分のない愛らしさ」、「理想的な愛情」、「冷ややかな美しさ」だそうです。


と、これだけで鑑賞が終わる歌であれば私の心の一次選考を通過した約二十首のうちの一首に過ぎないのですが、どうもこの歌は、私ごときの手に負えない凄い歌なのではないかと気付きました。
なんで六・七・五・八・七なんだろうって。

一昨年に映画にもなった夢野久作氏著「白椿」(青空文庫;再配布可能版
学校が嫌いな落ちこぼれのちえ子さんがある日、庭の白い寒椿の匂いにくしゃみをしたら、ちえ子さんの心は白椿に乗り移り、優等生となったちえ子さんを見ているという、夢野久作氏らしい不思議な物語です。
ちえ子さんの元の住家のちえ子さんは、親や先生やともだちにとって理想の良い子になり、一方、一輪差しとなって机に飾られた白椿の真・ちえ子さんは、そう遠くない将来に色褪せた花を机の上に落とします。
一種の人格交換でありながら、望んでもいない方向に事態は好転してもそれは自分ではなく、自分自身は消滅するのです。
この小説における白椿は言わば「禁断の実」で、何も知らずに手に取っただけで過去と未来が成す術もなく変わってしまうのです。

藤野唯さんの歌、素直に読めば「よくがんばった、わたし。あんな男のことなんか忘れちゃるw」と、なるのですが、白椿をアダムとイヴの禁断の実と解釈した場合、これまでと全く違ったお互いの関係がここから始まり、歴史は変わり、将来の展望が開けるとともに全く見えなくなるのです。

この歌、言葉の選び方も凄いです。必然の字余りです。
ほんと、脱帽しましたw

題詠2009鑑賞(007:ランチ)

「007:ランチ」(TB~200)。

007:ランチ(音波) (短歌のなぎさ)
サマランチ会長ほどの永遠を誓って君を吾が物にする


(本日の観賞記事もフィクションです)

サマランチ氏
永きにわたりIOCの会長として君臨し、オリンピックを世界の平和の祭典として定着させた功労者とされています。

日本が高度成長に沸いていた1964年の東京オリンピック、この年、東海道新幹線が開業し、日本国民の全てが各国選手団の活躍に声援を送り、民族の垣根を越えて世界の人々がふれ合いました。
その後のオリンピックでは選手たちの輝かしい記憶とともに、冷戦やテロリストの影が忍び寄ります。
商業利用、国威の誇示、民族の祭典化と、一部の者によるオリンピックの選手不在の私物化。
かつての平和の祭典は、民族間の垣根を高くし、招致合戦の不透明さが増すばかりです。
いつしか、会長は金権のうえに君臨する親善大使であり独裁者となりました。
氏の、長野冬季五輪閉会式における「Arigato Nagano, Sayonara Nippon」のメッセージ。
これが私には、長野五輪マスコットのスノーレッツのツッキーの涙の叫び声に聞こえてならなかったのです。

現在、サマランチ氏はIOCの終身名誉会長となり、その名前は「永遠」の枕詞として認識されるようになりました。
でも、サマランチ会長に比喩された「永遠」は、ちょっとしたことで崩れ去ったり一部に祝福されなかったりという意味を含んだ「有限」で、そのうえ、「私物化」にもかかっているというw
音波さんの歌、在任21年間限定の世界平和ほどの愛を誓いつつ、五句目で世界征服の手始めに君の心をいただいちゃったみたいな、続編を期待したくなる一首です。


夏の日にランチ残せば一番の鳥の鳴くころ蝿は群がる
In summer, lunch may go bad before next morning. (Dr. Samaranch)

題詠2009鑑賞(006:水玉)

「006:水玉」(TB~207)。

昨年の題詠blog2008において、読んで即、私の眼から涙が溢れて止まらない、感極まる歌がありました。
その作者は、今年は参加されていないようです。
でも、今年のイベントでは、昨年のその歌に劣ることのない素晴らしい作品に巡り合うことができました。
本日ご紹介する歌はそのうちの一首です。

006:水玉(O.F.) (O.F.)
水玉の透明ビニール風呂敷で白猫包めば沈丁花咲く

涙で、歌が霞みました。
短い歌のすべてのことばに意味があって、それぞれのことばから想像がたくましく広がってゆく、鎮魂歌のそれぞれの旋律と和音が心に静かに訴えるような、短歌の世界はすごいものだと再認識できました。
沈丁花の香りにすべてが救われています。

それはそうと、透明なビニール風呂敷の水玉は、白色ですよね?

題詠2009鑑賞(005:調)

「005:調」(TB~220)。

005:調(キヨ) (ぼくはこんなことが好き。)
浮気とか勝手にドラクエ進めたりとかしてないか今から調べる


りくおは たんすのなかをしらべた
なんと キメラのつばさをみつけた

りくおは ローラひめのけいたいでんわをしらべた
しかし
はっしんは りくおあてだけだった
ちゃくしんは りくおからだけだった
メールは りくおのものだけだった

ローラがあらわれた

ローラの「なにしてんの」こうげき

つうこんのいちげき

りくおはにげだした

りくおはレベルがさがった

さいだいHPが20さがった
さいだいMPが17さがった
たいりょくが8さがった
すばやさが4さがった
しんらいが30さがった
おとこを50さげた
20000ゴールドをうしなった

リセットボタンを押したら冒険の書が消えることがあるので、注意しましょうw

題詠2009鑑賞(004:ひだまり)

「004:ひだまり」(TB~228)。

去年二人で来た想い出の公園に着いた時、冷たい雨は上がっていました。
駐車場に戻るために横切った芝生が濡れていたので、寒そうな脚が履いたお気に入りの靴は少し汚れてしまいました。
少し怒りながら「お土産ができた」と、笑っていました。
県境の峠を越えた頃には、あたたかい春の日差しが車内に差し込んできました。
「桜を見に行きたかったナ」
開花は来週ぐらいになりそうです。
車のなかではずっと、将来の夢などの話をしていました。
私はずっと、冗談のような話をしていました。
彼女は喋り疲れ、自動車道の心地良い揺れに少しの間眠っていました。
空港が近づいた辺りではもう、風が桜の花びらを散らしていました。
連絡橋では、青空が広がっていました。
「ありがとう」
最後の食事を摂り、預ける荷物にハンドクリームのチューブを入れてチェックインを済ませ、
もう、二度と会うことの無いひとからの最後のことば。
「それじゃ、また」
彼女は深緑色のスカートを揺らしながらゲートをくぐり、振り返ること無く、世界に向かって羽ばたいて行ったのです。

004:ひだまり(emi) (時計をはずして)
ひだまりで笑う少女のスカートが揺れて春の日さよならと言う

題詠2009鑑賞(003:助)

「003:助」(TB~235)。
この、「助」というお題、難易度の高いものだと思います。
大学が法人格となり、いまではもう准教授と呼ばれるようになった「助教授」を詠んだ歌、
「助走」、「助手」、「助詞」、「助六」、「助平」、等々。
「補助輪」とした歌などは、いずれも補助輪を外しゆく過程が前向きな、素敵な歌が多くありました。

そして、半数程度の歌は「助け(help)」として詠み込んでいました。
これは、倫理の問題です。

電車やバスでお年寄りや体の不自由な人が自分の前に立ったら、私はさりげなく席を譲ることとしています。
それは、感謝されたいとか満足感に浸りたいとか車内放送で言われたからとか、そのような感覚ではなくて、それが当然のこととして席を譲るのです。
過剰に感謝されたとしても、私はそんな年寄りじゃないと怒られても、特に何の感慨もありません。
でも、ある日、
私が娘や息子とバスや電車に乗っていて次第にお客さんが増えてきたとき、私の子どもたちがお年寄りに席を譲っていたのです。どこかで親の様子を見ていたのか、自然と身についたのか、私はそれを見た時とても嬉しい気持ちになりました。

人間は集団のなかで生きている以上、周囲に気を配り、周囲の幸せを望むことは当然のことだと思います。しかしながら、人間というものは自分のことや相手のことは解っていないものなのです。
人を「助ける」ということは、相手が「助けてもらった」と感じない限りそれは「助けた」ことにはならなくて、それだけに一人称の文学である短歌で「助け」というお題は、たいへん難しいものだと思うのです。

「助け」は、それを当然のこととしてさりげなく示すか、「助けられた」こととして示すのであればよいのですが、「私」が「助けた」ことを詠むには相当なテクニックが要るような気がしました。

そのような観点から今回気になった短歌は、

003:助(日向奈央) (てのひらのきみ)
ばかだから助けられたい助けたい あなたの生きる意味になりたい

この歌、最高ですw
上の句で、「助け」+「助け」+「ばかだから」として「二重の肯定+否定」としておいて、下の句でちゃんと答えを用意してくれています。
「助け」の一人称の意味合いを曖昧にすることにより、人のために生きたいという気持ちが鮮やかに浮き上がっています。
読んでいて、ほんとに楽しい気持ちになりました。

題詠2009鑑賞(002:一日)

「002:一日」(TB~233)の凄い一首。

002:一日(さや) (ふかふかの日々をふかふかと共に)
教団の入りたいのね?八月の一日は仕事休めますわね?

「教団」に付く助詞は「に」とか「へ」を使うところでしょうが、「の」で「入りたいのね?」と続くのは文法上は適切ではないと言えるでしょう。それでもあえて使った「の」の一文字から、怪しさと恥じらいと可愛さと一途さ、現在に対する不安と将来に対する不安、これらのものが感じ取れるのです。
さお竹売りや金魚売りの声のような、「日常の中の非日常に対する郷愁」といったものでしょうか。

以前、日本の至る所で陽気な外人が自転車を乗り回し、
「チョット、イイデスカァ?、アナタワ、神オ、信ジマスカァ?」
と、声を掛けていました。
この常套句、日本語としては怪しいものですが、文法上の誤りはありません。
日本で生活して数年経つ人は、日常会話に支障の無い日本語を喋ります。不特定多数の人に対して「教団の入りませんか?」と勧誘する人は居らず、このことからもこの短歌は想像の産物と思えるのです。
ところが、多くの外国人は、日本語の会話は出来ても読み書きを苦手としています。私信やメールなどでは文法の誤った記述がいくらでもあり、その面からもこの短歌であえて「の」を選んだことは、口語体短歌への反発と言えることができると思うのです。

私は短歌を読む時、一回目は標準語、二回目を大阪弁のイントネーションで、一首で二度楽しむこととしています。ところがこの歌は、いきなりアジア娘のイントネーションでした。
上の句の五・七は、
「教団の(ありがたい教えがあなたの脳ミソの最初は片隅に)入りませんか?」
とでも解釈すればよいのでしょうか。
上の句で思考停止状態になった私にとって、下の句はどうでも良かったのです。もう、八月一日は何があっても仕事を休むことに決めました(今年は土曜日ですけどw)。これが、洗脳というものなのでしょう。
(でも、日帰りで帰ってくることができるのでしょうか?)

いろいろと書いてきましたが、ひとつの可能性として否定出来ないのは、この短歌が偶然の産物かもしれないということです。ローマ字入力時に、「に」と打つところを[i]の隣の[o]のキーを押して「の」になってしまったのかもしれません。しかしながら、この「指先のご褒美」というか、「ちょっとした遊び心」をそのまま作品とすることを選んだ感性に、必然であれ偶然であれ心を動かされた一首でした。

感覚では理解できなくて感覚でなければ理解できない、ちょっと見かけないような、それでいて心の散歩にはちょうど良い、この作品はそのような秀作であると思います。

題詠2009鑑賞(001:笑)

こんばんは、陸王です。
題詠blogへの投稿は一日一首のペースで5月頃まで続くのですが、手持ちの歌は百首詠み終えてしまいました。
この一週間余り暇を持て余していたので、参加されている皆様の歌を読んで短歌の勉強を始めることにしました。
そして、それぞれのお題で心が動いた歌のなかから一首だけ選び、鑑賞することとします。

最初に、「001:笑」(TB~264)から。
このお題から好きな歌を一首選ぶのは不可能な話で、例えば、歌の中に「笑」と「好」の文字、001と100のお題を使った歌は約一割、二十三首(陸王含むw)あったのですが、いずれも素晴しい歌(陸王除くw)ばかりでした。
そのようななか、みずきさんの一首。

001:笑(みずき) ()
嘆かじと笑み生るるまで冬近き鏡の中にわたしを探す

私的には二百数十首のなかで最も輝いていたのですが、一首だけをとりあげて見てみればその完成度のため言葉がありませんw
本来「鏡」=「わたし」であって、「わたし」=「笑み」なのだけれど、「鏡」の中にはいまのところ「笑み」はなくて。
晩秋の物悲しさや「嘆」の文字の使い方やら、心は沈んでいるようであっても「探す」と「生るる」の救い。
かなり昔のようなわずか二年余り前、自分探しの旅をしていたことを思い出してしまいました。
このあとどうなったのか少し気になったので、みずきさんの作品たちを読んでみました。
答えはありましたww

100:好(みずき) (空)
某日は絶好調といふ君へ不毛の愛を見し水たまり
Blog Ranking
短歌フリーペーパー『うたらば』
カレンダー
03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
FC2カウンター
キリ番報告
40000キリ番の方→こちら
最近のエントリ
最近のコメント
カテゴリー
最近のトラックバック
リンク
World-Word-翻訳
英語English
韓国語 한국어
中国語 中文
フランス語 Franc,ais
ドイツ語 Deutsch
Present's by サンエタ
月別アーカイブ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

DILI

Author:DILI
関西在住。平日は北陸方面で単身赴任中。
息子は、父の影響で大の鉄道好き。
用事が無くても電車に乗る。

ブログ内検索
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

RSSフィード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。