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第三部

もう一度お断りしておきますが、あくまでもこのシリーズの記事はフィクションであって、その登場人物や出来事等はすべて架空のものです。


戦前、日本の学校では修身の授業があり、筆頭教科として位置づけられていた。
そこでは、儒教の教えに基づいた道徳教育が行われていた。
学校でも家庭でも、目上の者を敬い兄弟や友だちをかけがえのないものとし、相手を思いやる心が自然に身につくように子どもは大切に育てられていた。


彼はかつて、ある人に命を助けてもらったことがあった。その恩人がいなければ、彼も彼の息子も孫もこの世には存在しないことになる。
ある時、彼の恩人が窮地に立たされたのだった。
恩人にお孫さんができたのだが、その子には先天的な心臓の異常があった。長く生きるには海外に渡って臓器移植を受ける必要があったが、渡航には多額の費用が必要とされた。募金活動をしているものの、目標の金額まで一千万円程度不足していて、残された時間もあまりないとのことであった。
彼にとって一千万円は、容易に準備できる額ではなかった。

近頃テレビを賑わせている某大学教授には、決して公けにしてはならない過去があった。
若い頃の過ちが世の知るところになると、教授の地位や名声、業績、人望、家庭、財産、それらのものすべてを失うことになる。
彼は教授の過去を知っていたが、決して口外しないことに決めていた。しかしながら恩人の危機に際して、教授から一千万円を出してもらうほかには救いの道は無いように思えた。
これは、刑法第二百四十九条の恐喝に当たるものである。

ある日の夜、彼は百貨店で購入した手土産の煎餅を提げ、重い足取りで教授の自宅に向かった。話の進め方を繰り返しシミュレーションしたうえで、教授が自宅でくつろいでいる時間を見計らって突然訪問することにした。
教授の家に向かう最後の角を曲がると、なんだか家の周りが物々しい雰囲気だった。
報道が教授の家を取り囲んでいた。
テレビ局の腕章を付けた人に何が起こったのか聞いてみたところ、教授が本を出版したのでその取材に来ているとのことだった。
彼は日を改めようと思って、教授の自宅前を後にした。
帰路にある書店に立ち寄ったところ、教授の書いた書籍が平積みにされていた。
教授の顔写真が大写しにされた表紙の書名が目に入った。
「過去の過ちを悔ゆ」

彼は、これで良かったのだと思った。
恩人になにひとつ恩返しのできない自分が情けなかったけれども。


さて、米国の心理学者コールバーグによれば、道徳観は六つの段階を持つという。

第一段階 : 懲罰志向
 行為の善悪は、人から褒められるか罰せられるかで決まる。
(例) 恐喝は犯罪であるためするべきではない。
第二段階 : 快楽志向
 正しい行為は自分の欲求や利益を満たすか否かにかかってくる。
(例) 彼が刑期を終えて出てくる頃には渡航の準備には間に合わず、恐喝は彼にとって何の得にもならない。
第三段階 : よい子志向
 正しい行為とは、他者に善いと認められる行為である。
(例) 彼は恐喝を働けば皆に犯罪者と呼ばれるとともに、病気の子どもにしても悪事で得たお金では喜べない。
第四段階 : 権威志向
 正しい行為とは、法律や秩序、権威などの社会的なルールに従う行為である。
(例) 恩人のお孫さんが病気だからといって恐喝を正当化することはできない。
第五段階 : 社会契約志向
 正しい行為とは、合理的な分析や相互の同意に基づいて決定されるものであり、さまざまな価値観や見解を認めたうえで社会契約的合意に従う行為である。
(例) 教授側にも非はあるけれど、お互いに相手の持つ権利を尊重し、恐喝にまで発展させる必要は無い。
第六段階 : 普遍的な倫理的原理への志向
 正しい行為とは良心にのっとった行為であって、その原理は全体的、大局的、普遍的な方向性を持ったものである。
(例) 彼は恐喝を行い、そのうえで罪を悔い償うべき。服役することになるが、それによって彼は人の命を救うことになる。

これは道徳性発達理論と呼ばれているが、必ずしも段階を経て最終段階に到達するものではなく、善悪の判断基準が自分か他者か全体かで行動を分類したものであると言えよう。
哲学には正解は無いが、心理学では不正解は無いのだ。


道徳では評価対象の欲望の程度を考える必要はない。
「善行」や「おもてなしの心」などは第六段階のものだと思う。
報酬や満足感を得ることが動機であれば第二段階であり、相手に喜んでもらおうという意識が強い限り第三段階の域を出ない。
自分の満足のためではなく、見返りを期待する考えは存在せず、人として当たり前のことを当たり前のようにすること、これが道徳観の完成されたひとつの「かたち」だと思う。

行動できる人は凄い人だ。
人は辛いことや悲しいことを経験して、そのぶん人に優しくなれる。
その人の表面に出さない心の葛藤や痛みや空洞のあることを理解し、共有し、受け容れることが必要だ。
思い込みや決めつけをせず、これまで生きてきた結果としての今現在の相手を認め受け容れ、そのことを将来にわたって継続すること。
心がつながっているということは、おそらくそういうものなのだ。


日本人は敗戦により大切なものを失ってしまったようだ。
「愛」のかたちについても同じなのかもしれない。
僕はヤマアラシになりたくない。
モグラのようになることもない。
僕は、モグラの心にできた隙間を満たすことができるような人になりたい。

(完)

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関西在住。平日は北陸方面で単身赴任中。
息子は、父の影響で大の鉄道好き。
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