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誤った「ノルウェイの森」の読み方

ここから先、ネタバレです(笑)

拙作「小説、銀河鉄道」において、「ぼく」は一人数役をこなしましたが、「彼女」は二人一役でした。
物語の最初の「彼女」と最後の「彼女」とは別人物です。
その記憶の抜けないうちに読んだ村上春樹の「ノルウェイの森」、その二回目の感想です。


「ノルウェイの森」では、たくさんの人が亡くなります。
しかしながら、死の理由やその時の状況は、あまり詳細に描写されていません。
それは、小説が「ワタナベくん」の視点で描かれているためなのですが、死をテーマとしてあまり重視していないような気がしました。
たとえば、緑さんのお父さんのダイイングメッセージ「上野駅」は、最後の電話ボックスの場所を言っているのではないのでしょうか。単に、作者の遊び心のような気がしてなりません。

この小説のテーマである「恋」について。
永沢さんと一緒に遊んだ2人の女の子との逸話にしても、緑さんの髪型の話にしても、「ワタナベくん」は女の子は見かけでは無いと思っているようです。
また、登場する4人の女性、いずれも頭が良いという設定になっています。しかしながら「ワタナベくん」はそれを当然のこととしてスルーし、彼女達の良さが良さとして見えていなかったのだと思います。
「紙に書かないと考えがまとまらない」の記述のように、「ワタナベくん」の言葉はうわべを取り繕うだけのものでした。
そのうえ時間はいつも一ヶ月単位で断片的で、連続性・永続性につながることはないのです。

さて、第一章に書いてある「十月の草原」。
本文中では今が何月であるかの記述は多くあるのですが、十月の記述はレイコさんとの時しか見つけることができませんでした。
小説では、第一章において「直子」と「彼女」とを使い分けることで「レイコさん」への想いを隠し、辻褄の合わないことは18年間の忘却のせいにしているようです。
「ワタナベくん」の生涯で最初で最後の、「目的」ではない「手段」としての性。
「私を忘れないで」がレイコさんの言ったものであるのなら、この小説のテーマは「恋=肉体関係」であることが明白であり、未だに他のことを学習できないワタナベくんって頭が悪いのだと思いました。

人の「心」なんてそんなものじゃなくて、何も分かっていない、しょーもないことだけに拘る小説中の「ワタナベくん」に自分を重ね合わせ、私は哀しくなるだけでした。
この世で正しいことは、「忘却」と「受容」だと思いました。
人間は、日々進歩しています。
過去の感性を忘れなければ、今を受け容れなければ、誰一人として救われることはありません。


なお、スパム対策のため、当ブログはコメント文に"sex"が含まれると受け付けない設定にしていますw
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うかうかしている間に、世の中がとっくに明けちゃってました><
おめでとうございますe-342

>死をテーマとしてあまり重視していないような気がしました。

私は逆に感じました。
死と性がテーマなのかと・・・。
ノルウェイの森の中では死はあまりにも普通にそこにあって、人がどんどん死んでいくので軽く扱われているようにも思えますが、実際のところ、普段気付いていないだけで、死は生きているもののそばに常にそっと置かれているんですよね。

あと、「恋=肉体関係」についても、違うの?って思ってしまいましたw
肉体関係だけが恋ではないけれど、肉体関係は恋の深みを増すと思うのです。
それだけなのではなく、それによって、それを知らない他の人が絶対に知り得ないお互いを知るということにおいて、深いです。
そしてその先の、肉体関係を結んでもなお知りえない深いところがあることも、本当の意味で知ることになると思うのです。
って、考えすぎ~www

「忘却」と「受容」が正しいかどうか私には分かりませんが、キスギくんや直子のように死にたくなければ、身につけるしかないのかなって思います。

今年もよろしくお願いいたしますe-466

ノサカ レイさん

レイちゃん、こんばんは。
・・・
違和感ありまくりですので、のーさんと呼びますw
今年もよろしくお願いします。

ミステリー作家は必然性があって連続殺人を起こしています。ヴァン・ダインの二十則では、「事件の結末を事故死とか自殺で片付けてはいけない」とされています。
死者が出るのは、ミステリーの単なるお約束で、謎解きやトリックや心理描写の揺れを読者は楽しむのです。
死者の出ない推理小説としては、天藤真の「大誘拐」がお勧めですw


さて、「ノルウェイの森」では、緑さんの両親は病死でしたが、キズキくん、直子の姉、ハツミさん、直子さん、いずれも若くして動機不明の自殺を遂げています。
かと言って、ワタナベくんから見た当人の亡くなる前の心理描写を読んでも、自殺の理由が分かるようにはなっていないのです。ちょっと買い物しようと出かけたはずがサンダルをそろえて河に飛び込むような自殺は、決して身近なものには感じません。
死に至る理由、発作的にせよ自殺者の心理はそれなりにあると思うのですが、非現実であることの説明責任を放棄したこの小説では、死を軽んじていると思ってしまいした。


性について、私はお子さまなのでうまくコメントレスができません。
この小説では、死と同様に性についても軽く扱われています。
しかも大半が、直子さん20才の誕生日の夕方のものも含めて、快楽を求めて虚しくなるだけの「目的」としての性でした。
性は、二人が互いの愛を確かめ合う最良の「手段」だと思います。
また、ワタナベくんは若い頃からの無理がたたり、「目的」としての性では自分の存在感が無くなるということを学習しました。
しかしながら、「愛=肉体関係」でありたいと思うものの、直子さんはその要求を満たすことができない身体でした。
ここで、二人の結びつきの程度を示す指標を肉体関係と考えるのは良くても、逆は必ずしも真ではありません。「肉体関係の無い二人の間に愛は無い」と考えてはいけないのです。
セクスレスの夫婦にはそれぞれの心身の事情があって、それは仕方のないことで、愛が無いわけではないと思うのです。


「死は生の対極としてでは無く、生の一部として存在している」(キズキくんの死)
 ↓(4年後)
「どのような真理をもってしても愛するものを亡くした哀しみを癒すことはできない」(直子さんの死)
 ↓(16年後)
「直子は僕のことを愛してさえいなかった」(第一章の最後)

ワタナベくんの心が20年間かかっても彷徨い続けているのは、直子さんの「存在」と「死」とにより、ワタナベくんの自我がその成長の時間を止めてしまったためだと思うのです。
でも、私も男子のはしくれ、ケダモノの血が混ざっているのでワタナベくんの気持ちが分からなくもないのですw


作風により多様な解釈が可能な小説では、いろんな感想が出てきて当然です。ましてやこの記事では表題を「誤った読み方」としていることから分かるように、私自身が自分の記事の考え方には否定的で、はっぱさんやのーさんの読後感に近いものを感じています。
生きている限り、楽しく笑って過ごしたいものですww
Secre

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関西在住。平日は北陸方面で単身赴任中。
息子は、父の影響で大の鉄道好き。
用事が無くても電車に乗る。

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