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もうひとつのトロッコ問題

昨日の記事、大反響でした。
当ブログ開設以降、最大のカウンター数を記録しました。
Yahoo! JAPANで、"トロッコ問題"、"めざまし"で検索したら、当方のブログが最初にhitしていました。
ご来訪頂いた方々には、厚く御礼申し上げます。
来年度のDILI検定の試験(時期未定)は、何人の受験者が来るのでしょうか(笑)


トロッコ問題は、Philippa Foot氏が1978年に提唱しました。
その後、幾人もの学者がこの問題を検証し、Judith Jarvis Thomson氏は「The fat man」と呼ばれるトロッコ問題のバリエーションを発表しました。

【問題】
あなたは、トロッコの線路の上に架かる橋の上に立っています。
暴走したトロッコの進行方向には、5人の人が線路上に倒れています。
あなたの隣には、見知らぬ太った男が立っています。
隣の太った男を橋の上から線路へ突き落とすことによりトロッコを止め、5人を助けることができます。
さて、どうでしょう?


解答(例)はこちら ↓



三浦綾子の「塩狩峠」でしょうかww
太った男1人でトロッコを止めることができるのなら、
私の力で太った男を橋から突き落とすことができるのなら、
私の力で、トロッコを止めることができるかもしれません。
ということで、私の場合は、自ら飛び降りてトロッコを止めにかかります。


私が兎だとして、お世話になった老人がお腹を空かせていた場合、おそらく焚火のなかに我が身を投じることでしょう。
でも、私は人間で、我が身は食用にするには兎ほどの価値はありません。
守るべき家族たちが居るので、自分自身が健康でい続ける必要もあります。
せっかくこの世に生を受けたのだから、誰かの役に立ちたいという願いも持っています。
自分に何ができるのでしょう。

線路に落下した人を救おうとして、自分が電車に轢かれて亡くなるという痛ましいニュースがありました。
私がそのような場面に出くわした場合、接近する電車の位置、速度、転落した人の状況、救出後に退避する箇所の有無、それらを判断してしまいます。
そして、無事に救出できると判断できれば、線路上に飛び降りることと思います。
でも、そのような時には、接近する列車は遅く感じることだと思います。
ホームから線路までが、低いものだと感じるのでしょう。
多分、瞬時に判断したよりも列車は速く、ホームは高く、被災者は重いのです。
でも、自分で判断した限り、飛び下りなければ・・・


答えは私が小学生の頃、私の父が教えてくれていました。
父と二人で出かけ、食事を終えて少し遅い時間に、自宅最寄りの駅で電車を降りました。
そこでは、ホームの端を気分良く酔っ払ったおじさんが ふらふらしながら歩いていました。
父はおじさんに近づき、「危ないよ」と声をかけ、白線の内側にやさしく招き入れたのです。
危険予知と事故の未然防止。
声かけ合って鍵かけて。
これが、常に「安全」を考え 行動するということなんだなと、思ったのです。

ちなみに、父はまだ生きていますw
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No title

こんにちは。
すみません、トロッコ問題というのは、本質は置いといて、良く言えば頭の体操、悪く言えば屁理屈で解決する問題なんですか?

5人のために1人を犠牲にするか、1人のために5人を犠牲にするか、ですが、僕ならたぶん人数に関係なく、行動しても全員が助からないなら何もしません。
どうしたって後悔すると思うので、自分自身に言い訳できる選択をします。

DILIさんも素敵ですが、お父様も素敵ですねw
こういう父親にならなきゃ。

No title

こんばんは。

まず、この二つの問題に答えるためには、前提が必要です。
初段の問題でDILIさんの頭に浮かんだと同じような、何で気付かんのや!とかそもそもKY(危険予知のほう)がなっとらん!とか、太った男性を線路へ突き落とす力があるかとか、そういう可能性とか疑問は全て取っ払うという前提です。
そうじゃないと、もしかして5人の作業員のうち1人がその後安い給料に嫌気をさしたことがきっかけでテロ組織に入り、大量無差別殺人を犯してしまったり、1人の作業員のほうは実は大学生のアルバイトで、彼は苦学の末たくさんの人を救う医者になるとか、そういう可能性も出てくるからですw

で、そういう全ての疑問や作業員の人格や現在の家族や将来の可能性や咄嗟のことで分岐点でポイントを動かすことに気付けない、などを全部取っ払ってみます。
私がほんっとたまたま分岐点でブログ用の写真をのほほんと撮っていたら、向うから(ぱっと見で異常だとわかる)トロッコが近づいてきていて、先を見ると一方に5人、一方に1人、このまま行くと5人の方へトロッコが進む、という状況に気が付くことができたような場合・・・
状況をリアルに想像してみましたが、私はたぶん、考えるより先に、一刻も早く「危ないーー!!」と叫びながらポイントを操作して1人側へ向け、そっちに走りながら何とか気付いて逃げてもらおうとすると思います。
声は届かず、一人で作業していた人は死んでしまうかもしれない。
だけどどの選択をしても、何もしなくても、どうしたって一生後悔をすると思います。
だったら5人死ぬより1人のほうがましだ、と思うのです。

太った男性を突き落とすことはできないと思います。
一瞬迷っている間にトロッコが過ぎてしまう状況だけど、私は一瞬以上迷うと思うので、結局間に合わないと思います。
検索して読んだのですが、「The fat man」のほうでは、突き落とさない(落とせない)人が多いそうですね。
そして太った男性が人ではなくチンパンジーだった場合は、突き落とすと答える人が多いと書いてありました。
私はチンパンジーでも突き落とせないと思います。

DILIさんは、自ら飛び降りてトロッコを止めにかかるということですが、それが無駄に終わったらどうするのですか?
DILIさんも死んでしまって、5人のことも助けられなかったら。
私が老人だったら、自ら焼き兎になるような優しい兎の肉は、とてもじゃないけど食べられません。
だから私が兎でも自ら身を差し出したりしません。
その方が老人も兎を殺して食べやすいかもしれないですよ~w

ほきいぬさん

こんばんは
トロッコ問題は、「ポイントを切り替える」か「何もしない」か、「見知らぬ人を突き落とす」か「何もしない」か。
1人死ぬか5人死ぬかの二者択一問題を出して統計的に処理し、命の重さを数で議論するのが倫理上正しいのかとか、人の脳の働きの法則性とかを考察するものです。
「たけしの日本教育白書2008」では、トロッコ問題をきっかけとして、家庭内等における教育問題を考えて行こうとしているのだと思います。

一方、私のブログの記事。
私の手にかかると、倫理学の問題が「とんち」の問題になります。
平成の一休さんと呼んでください(嘘です)。
この2日間の記事では、トロッコ問題は置いといてw、「相手を敬い大切に想うこと」について考えてきました。
ほんと、”トロッコ問題”で検索して来て頂いた人には悪いのですがww
でも、「どっちを選んでも人が死ぬけどどっちかを選べ」という問題は、考えたくなかったのです。
「どーしても答えないと、尻小玉抜いちゃうぞ~」と言われたら、「何もできない」を選びます。
ほきいぬさんと同じです。

のーさん

さすが、危機管理意識が高いですねw。
私の場合、「逃げろ~!」って言うことを思いつく前に、トロッコは通り過ぎてしまいました。
でも今回、いろいろと考えることができたので、今後そういう場面に直面したら人助けが出来るかも知れません。

太ったチンパンジーが偶然隣に立っていたら、私だったら咄嗟に突き落とすかも知れません。
ちゃんと弔います。
でも、線路上に倒れていたのが5匹のチンパンジーの子供だった場合、チンパンジーは自ら飛び降りるような気がします。
なんか、動物って、ヒトが忘れてしまったようなものを持っているような気がしませんか?


自分で飛び降りたけどトロッコを停めることができずに轢死した場合、それはそれで仕方が無いと思うのです。
自分で100%成功すると判断して行動したのですから。

そして、私が老人だったら、顔じゅうぐしゃぐしゃにして涙を流しながら、兎の肉を食べると思います。
食べなければ、兎の善意が犬死にです(ちょっと言葉が悪いですw)。
兎の記憶を胸に、正しく、兎の分も生きていく義務があると思うのです。
自分がかつて、兎を大切に思い優しくしたために兎は自らの命を捧げることになるのですが、優しくしたことは後悔しません。
今後、人前でお腹を空かせた様子は見せてはいけないと思うだけです。

No title

>自分で飛び降りたけどトロッコを停めることができずに轢死した場合、それはそれで仕方が無いと思うのです。
>自分で100%成功すると判断して行動したのですから。

100%成功すると信じて行動したのなら仕方ないですねw

>そして、私が老人だったら、顔じゅうぐしゃぐしゃにして涙を流しながら、兎の肉を食べると思います。
>食べなければ、兎の善意が犬死にです(ちょっと言葉が悪いですw)。

わたしは、兎の善意は自分勝手だと思います。
厳しい言い方になってしまいますが、はっきり言えば迷惑です。
心優しい兎を食べて生延び、その重荷を背負って正しく生きていくことが義務だとDILIさんは言いました。
わたしもそう思います。
だからこそわたしは兎を許せません。

兎は焼き兎になることで、わたしの選択の余地を奪うのです。
食べても食べなくても、わたしは一生悔やむでしょう。
わたしは兎を食べたくないのに、兎は一方的に自分の肉と命の重さを押し付ける。
兎がわたしのために死ぬなんて、バカなことを考えることに腹が立ちます。
悔しくて涙が出ます。

自分の命を投げ打って他の命を助けるのは尊くて美しい行為のように思いますが、ある種の酷くやっかいな苦しみを生むことがあります。
わたしはそういう苦しみを背負って生きるのも、背おわせるのも出来る限り避けたいのです。

DILIさんが自分を犠牲にして人を助ける時は、わたしのような人を助けないように注意して下さい><
あの人のお陰で自分は生きていられる、あの人の分も正しく生きていかなきゃ!って素直に感謝できる人を助けるようにして下さい。(ペコリ)

のーさん

ほんと、この兎、何も考えてませんねw
この件に関しては、もう少し考えて記事に書いてみたいと思います。


自分に何ができるのかを考えることがあります。
人間にとって、兎の価値に食肉になるということがあるのですが、あの状況で焚火の中に身投げすることが兎が自分の役割を果たすための方法のひとつだと思うのです。
でも私が、人肉を食べるのが大好きで空腹状態の魔物の前に出た場合、私は焚火の中に身を投げることはしません。
きっと、逃げます。

この2日間の記事&コメントレスで、私は自分が不安全にならない道ばかり選んでいます。
人の危険行為は事前に予防したり、事後に反省したり、目の前で起こった時も自分が死んだりすることの無い方策ばかり考えてきました。
その判断が間違っていたとしても、自分が100%安全と判断しない限り行動に移すことは無いのです。

私は自分を安全な側に置き、自分を犠牲にしてまで人を助けることは無い・・・と思っていました。


でも、
のーさんやブログの仲間、友達、家族などが危機に直面しているのを発見したら、私はどのように行動すれば良いか分かりません。

チンパンジーの問題、もう少し考えてみました。
「隣に立っているチンパンジーを突き落とし、続いて自分も飛び降りて、一緒にトロッコを止めて成功の確率を高める」
という答えが浮かびました。
これなら、動物愛護協会から非難されることは無いでしょうw

太った男の問題で、線路上に倒れていたのが面識の無い5人の子どもだとします。
私はおそらく、成功の可能性が少しでもあると思ったら、本能で飛び降りてトロッコを止めにかかると思います。
今は大変な時代なのでなおさら、子どもは社会で守るべきものという考えが優先してしまいます。

とてもお世話になった人への感謝の気持ちや大切に思う人を守る気持ち、5人の子供なら飛び降りて見知らぬ作業員なら何もしない、両者の閾値が分からないのです。
どこまでが当然の行動として認められるのか。
そのような状況の第一発見者にならないことを祈るだけです。
Secre

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関西在住。平日は北陸方面で単身赴任中。
息子は、父の影響で大の鉄道好き。
用事が無くても電車に乗る。

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