「052:縄」(TB〜186)。
052:縄(ぽたぽん) (
今日には今日を 明日には明日を)
兵十が火縄銃持ちごん撃ったときの気持ちになったさよなら
「ごん、お前だったのか?いつも栗をくれたのは」
ごんは ぐったりと目をつぶったまま うなずきました。
〜新美南吉「ごん狐」より〜
ものゐはぬものに
私は、「さよなら」と云うことはどうしてもできません。
「051:言い訳」(TB〜179)。
051:言い訳(秋月あまね) (予定された調和が見つかりませんでした。)
隕石が落ちてきたとか 言い訳を聞くのはつらい よく動く口
スランプにより「051:言い訳」の鑑賞ができなくて、一ヶ月以上経ってしまいました。
思い起こせば9月14日、私はこの日、その後の人生感を変える出来事に遭遇したのです。
ある人に対して「あなたはこの日で人生感が変わる」と予言していたら、それが我が身に降りかかってきたのでした。
人は誰も、決して押してはならないスイッチを持っています。
その日私は、宇宙人の友達と火星の酒場で日本酒を飲んでいました。
寒い夜は熱燗に限りますw
二人とも銀河系の平和を守る仕事なのでやたら話は盛り上がり、気がつけば霞ヶ関ビル3杯分の清酒が空いていました。
そこでお開きにすれば良いものを、調子に乗って特撮ヒーローメドレーで、カラオケ5連発行ってしまいました。
でも店の外は真空状態なので、騒音が漏れて近隣に迷惑をかけることはありません。
相当出来上がった状態で6曲目を選んで、デンモクの送信ボタンを押しました。
今にして思えば、デンモクにしては重いし大きいし、ボタンもおおげさに赤かったし。
その直後、ひとつの美しい惑星が粉々に破壊されました。
そんな危険なもの、飲み屋に持って来るなよっ!
それからしばらくの間、たいへんな日々が続きました。
ボタンスイッチ押下により発射された波動砲は、何億もの知的生命体の住む平和だったであろう星を木っ端微塵にしちゃいました。
我々の手に負えなかったので、創造主のところへ頭を下げに行きました。
さすがに全知全能の彼はすごくて、時間を戻してちゃらにしてくれました。
神さま、ありがとうw
惑星の平和は、このようにして守られたのです。
喧嘩する度に恋人たちのつながりが深くなるようなもので、私は、もう二度と悲しませないと心に誓ったのでした。
あと、道を歩いている私の目の前に隕石が落ちてきたという話もあります・・・
(後略)
ほんと、記事を書けなかったことの言い訳って見苦しい(笑)
私は言い訳はあまり好きじゃないのですが、待ち合せにちょっと遅れたりした時は、「暴風雨の中、断崖絶壁をよじ登ってイワツバメの巣を取りに行ってた。」と、言っています。
なお、中華料理のツバメの巣は、アナツバメのものだそうです。

上の写真は、10月5日に仕事仲間と行った飲み会の料理。
美味しかったですw
そして、ふと気がつきました。
今月、私が酒類を飲んだのはこの一回きり。
かれこれ三週間もの間、一滴も飲んでいません。
飲めなくなったわけではなくて、単に飲むことを忘れてただけです。
思い付いたら居ても立ってもいられないのが私の良いところw
今宵は、パーっと行ってきました(笑)
今日は、安眠できそうです。
なお、10/19〜25の記事は順番を入れ替えました。
ある日、寒さで凍えたヤマアラシがモグラの家を訪れました。
「お願いだから、冬の間だけ家に住ませてほしい。」
モグラはヤマアラシの願いを聞き入れました。
同居生活が始まりましたが、モグラの家は狭い穴ぐらなので、ヤマアラシが動くたびにヤマアラシの針がモグラの体を引っ掻くのです。
我慢ができなくなったモグラは、ヤマアラシに出て行ってもらえないかと言いました。
ヤマアラシは答えました。
「ここに居るのが嫌なら、君が出て行けばいいじゃないか。」
ここから始まる物語はすべてフィクションであることをお断りしておきます。
昔、日本は戦争に負けた。
長い戦争が終わった時、世界平和のために日本の勢いを抜くことが必要と考えた米国は、日本がなぜ強国であったのかを研究した。その結果、日本の強さは日本人の家族制度にあるという結論が出た。
日本は特定の宗教思想を持たない国(神の国)なので、米国はまず神を人とすることにより、日本人の心の拠り所を分断した。次に、祖先や親兄弟隣近所を大切にするという日本の大家族制度を破壊するため、教育体系を学歴・個人重視のものに変えたのだった。
核家族が増え、家庭教育は崩壊した。
日本は資源小国なので、またたく間に力の無い国になった。
教育基本法
(教育の目的)
第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
僕は昭和30年代に生まれた。
父は両親が年をとってからの子で乳母や姉に育てられ、小さい頃大病をして甘やかされたせいか、家庭を持っても妻子に愛情を示すことが苦手な人だった。
母は共働きの家庭に育ち、兄弟も少なかったためわがままに育った。
僕が小さい頃は、両親にはよく叩かれた。すぐに両親の手が飛んでくるので、長い間自分を主張することができなかった。
僕は両親からの明確な愛を受けること無く育った。
僕が全面的に悪いこともあったが、そのような時には逆におろおろして手を出せないで、自分たちの機嫌が悪い時などにどうでもいいような理由で殴られた。
僕は覚えが悪いので小学校入学前の記憶はほとんど無いが、物心がついてからの体罰は心に傷が残るもののようだ。
ある時、僕は父親と一緒に広島まで日帰りの旅行をした。山陽新幹線の岡山以西が開業前のことだ。
乗り物に弱かった僕は、次の日に熱が出て学校を休んだが、会社から帰ってきてそのことを知った父は「今日はせっかく気分が良かったのに」と言って僕を殴った。僕は叩かれた勢いで飛ばされて浴室の扉に当たりガラスを割ったけど、両親は怪我をして泣く僕を放置してどこかへ行ってしまった。
僕は親と旅行に行くのが怖くなった。
たまにはメッセージ性のあるものもあった。
中学1年のある日、僕は友だちから映画に誘われた。僕はその時、小遣いの持ち合わせが無かったので断ったら、彼は「この映画は明日までだけど、お金は貸してあげるので明日映画に行こう。」と言った。僕は彼に、「3日後に小遣いをもらえるので必ず返す」と約束した。
家に帰ってその話をしたら、父親は問答無用に「お金の貸し借りはするな!」と、僕の左頬を平手で打った。映画の約束は断ったのだが、頬の腫れは3日間消えなかった。
それ以来、僕は人からお金を借りることができなくなった。
自宅購入の際にはさすがにローンを組まざるを得なかったが、それも会社から低金利で借りることとした。自家用車購入は一括払い、クレジットカードや飲み屋のツケ払いもいまだに苦手、人にお金を貸すことがあっても自分が借りることが苦手なので督促ができない。誰かの保証人になることは無い。
僕は、相手に変に気を遣う臆病な人間になってしまった。
僕は小さい時は自動車が好きで、自分でデザインした車を紙細工で作っていた。いつもは乗用車の模型を作っていたのだが、僕にしては珍しくマイクロバスを作り、自分なりに満足の行く作品ができた。
その時の母親は、僕が整理整頓がうまくできないことを怒っていたと記憶しているが、僕を叱ったついでに紙製のマイクロバスを床に投げ踏みつけてぺっちゃんこにしたのだった。僕は、もう人の乗ることの出来なくなったバスを見つめ、悲しくなった。
母はその後、紙のバスを壊したことを謝った。謝るぐらいなら壊さなければいいのに。
それ以降、僕は紙の模型自動車を作ることは無くなった。
中学2年の時、母方の祖母が74才で亡くなった。
まだまだ元気だったのだが、祖母に対する僕の様子を見て、母は祖母の死期を悟ったと後から聞いた。
母は、夫と自分と僕を責めた。母は僕に自分と同じ能力のあることを呪った。
家族の皆が居場所を失っていた。僕の心はもはや荒れていた。
僕は愛に飢えていたとともに、愛情表現に不器用な大人になった。
気が強くて、見栄っ張りで、頑固で、自己中で、心が不安定で、癇癪持ちで、人の話を聞かず、自分の言いたいことを言えず、いつも我慢して、諦めて、自信が無くて、目標を持てず、人の心の痛みが分からない、優しくない、そのような人に僕は育った。
そのまま数十年が過ぎ、これらの性格は米軍や家庭環境のせいにするべきではなく、直視し受け容れるべきものと思った。
人のせいにしたり自分を否定したりしていては、相手を受容することなんてできないし、これだけの短所を備えていれば、同じ苦しみを持つ人の痛みがわかるはずだ。
自分の人格は否定するべきではなく、肯定のうえに自らを改革して行くことに自分の存在価値があると思ったのだった。
モグラはヤマアラシに言われたとおりに家を出ました。
ヤマアラシに針があることは仕方のないことですが、毎日増える引っ掻き傷がモグラには辛かったのです。
モグラには大きな爪があるので、またどこにでも穴を掘って自分ひとりが住むぐらいの家は作ることができます。
春が来て暖かくなれば、元のすみかに戻れることを信じて。
教育基本法
(生涯学習の理念)
第三条 国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。
父は昔、僕に向かってこう言った。
「結婚するなら、美人で達者で賢いひとを選べ。」
母のそばで僕にそう話す父は幸せそうだった。
父は会社勤めをしていて母は専業主婦だった。
父は好き放題に生きてきたように見えるが、僕には彼が妻のことを愛し続けていることが分かった。でも、その気持ちは母には全く届いていなかったように思えた。
母は夫からの愛に気づくことなく、人並みの生活を送れることに感謝することもなく、いつも悲劇のヒロインを自演していた。母は、父の収入が彼の小遣いを残して全額家に納められていたにもかかわらず、一言の感謝を述べるでもなく不平不満しか示さなかった。父は大企業に勤めていたので世間相場以上の安定した収入があったのだが、母は収入が少ないと詰ることさえあった。
でも、それが彼女の自我を保つうえでの唯一の方法だったに違いない。
父は頑固な人で、それだけに理解されにくく、常に居場所が無いような様子を示していた。
子どもの目には、両親の気持ちが通じていないように見えていた。
父はある時期、単身赴任をしていた。初めての一人暮らしだった。
業務は多忙だったが、一日頑張ったご褒美の晩酌は格別な味がした。
しばらくすると生活にも順応し、一人の部屋で布団に入るのが心地よく感じるようになってきた。
赴任寮近くの○○銀座と呼ばれる盛り場へ仕事仲間と行くのが数少ない楽しみだった。
なかでも、「スナックK」という店には父のお気に入りの女の子がいた。
水商売の世界では、店の女の子は単身赴任の男にはいれ込んではいけないという暗黙のルールがある。任が解かれると去って行くからだ。
お気に入りの子とはいっても結婚もしていて子どももいるし、年齢は父よりもひとまわり以上若かったので相手にされるわけもなく、なによりも店自体が明るい健全な店だったので、皆で陽気に騒いで歌って、父は翌日からの仕事の活力を得ていた。
その子は父が店へ行くと、必ず父の隣りに座ってくれた。体に触れることも無いけれど、いろんな話をした。
父はそこで、おもてなしの心を学んだ。
人に優しくすることを学んだ。
そして、妻一人に優しくできない自分が、店の女の子に優しくできるわけがないと思った。
その子はとても聡明で頭の回転が極めて早い子だったが、父はかつて、生涯でただ一人、自分に「好き」と言ってくれた妻の賢さに惚れたことを思い出したのだった。
僕が成人となって父と酒を飲む機会が何度かあったが、父はアイデアマンだった。僕は父の突飛なアイデアを、笑い飛ばしたり感心したり、実現に向けた荒唐無稽な議論で盛り上がったり。今でこそ会社は従業員に成果しか求めていないが、一昔前の企業戦士はいかに業務を改善するかに重きを置かれていた。
父は家族に対して頑固なイメージしか示さなかったが、息子と酒を交わす時の父は雄弁で知識も豊富で考え方も柔軟だった。
「激動」と言われる時代が長く続いている現代において、価値観もめまぐるしく変化している。
変わるものに適応していくためには、自らの行動や思考も柔軟に変えて行く必要がある。
人間は常に学習し、常に発達し続けているものだ。
人格も、その気になりさえすればいくらでも高くすることができる。
発達が人間の一生を通した継続的な変化の過程であるならば、人間は一生を通じて変化し続けなければならないし、人格の完成を目指し続けなければらないのではないかと考える。
そうしなければ、真実は何も見えない。
僕は、両親が喧嘩するのを一度だけ見たことがあった。
原因が何かは分からなかったが、僕が居合わせた時には父が水道の蛇口をひねり、洗面器一杯に張った水を母に浴びせるところだった。
さすがに僕は間に入って仲裁した。
父は母に手をあげることができない人だと思った。
その時、母の心は水よりも冷えていた。
母が僕の家に来た時にプッチーニの歌劇「蝶々夫人」のレーザーディスクを見せたことがあった。
両親が結婚前に舞台の袖で合唱した曲、「あんなに仲が良かったのに」とつぶやき、彼女は涙を拭っていた。
モグラにとって、勝手のわからない土地での生活は辛いものでした。
でも、支えてくれる友だちもできたので、冬の間なんとか頑張ることができました。
そして春が来て、モグラは前の家に帰ってきました。
ところが、そこにはヤマアラシが家族をともなって住んでいました。
モグラの帰る所はありませんでした。
もう一度お断りしておきますが、あくまでもこのシリーズの記事はフィクションであって、その登場人物や出来事等はすべて架空のものです。
戦前、日本の学校では修身の授業があり、筆頭教科として位置づけられていた。
そこでは、儒教の教えに基づいた道徳教育が行われていた。
学校でも家庭でも、目上の者を敬い兄弟や友だちをかけがえのないものとし、相手を思いやる心が自然に身につくように子どもは大切に育てられていた。
彼はかつて、ある人に命を助けてもらったことがあった。その恩人がいなければ、彼も彼の息子も孫もこの世には存在しないことになる。
ある時、彼の恩人が窮地に立たされたのだった。
恩人にお孫さんができたのだが、その子には先天的な心臓の異常があった。長く生きるには海外に渡って臓器移植を受ける必要があったが、渡航には多額の費用が必要とされた。募金活動をしているものの、目標の金額まで一千万円程度不足していて、残された時間もあまりないとのことであった。
彼にとって一千万円は、容易に準備できる額ではなかった。
近頃テレビを賑わせている某大学教授には、決して公けにしてはならない過去があった。
若い頃の過ちが世の知るところになると、教授の地位や名声、業績、人望、家庭、財産、それらのものすべてを失うことになる。
彼は教授の過去を知っていたが、決して口外しないことに決めていた。しかしながら恩人の危機に際して、教授から一千万円を出してもらうほかには救いの道は無いように思えた。
これは、刑法第二百四十九条の恐喝に当たるものである。
ある日の夜、彼は百貨店で購入した手土産の煎餅を提げ、重い足取りで教授の自宅に向かった。話の進め方を繰り返しシミュレーションしたうえで、教授が自宅でくつろいでいる時間を見計らって突然訪問することにした。
教授の家に向かう最後の角を曲がると、なんだか家の周りが物々しい雰囲気だった。
報道が教授の家を取り囲んでいた。
テレビ局の腕章を付けた人に何が起こったのか聞いてみたところ、教授が本を出版したのでその取材に来ているとのことだった。
彼は日を改めようと思って、教授の自宅前を後にした。
帰路にある書店に立ち寄ったところ、教授の書いた書籍が平積みにされていた。
教授の顔写真が大写しにされた表紙の書名が目に入った。
「過去の過ちを悔ゆ」
彼は、これで良かったのだと思った。
恩人になにひとつ恩返しのできない自分が情けなかったけれども。
さて、米国の心理学者コールバーグによれば、道徳観は六つの段階を持つという。
第一段階 : 懲罰志向
行為の善悪は、人から褒められるか罰せられるかで決まる。
(例) 恐喝は犯罪であるためするべきではない。
第二段階 : 快楽志向
正しい行為は自分の欲求や利益を満たすか否かにかかってくる。
(例) 彼が刑期を終えて出てくる頃には渡航の準備には間に合わず、恐喝は彼にとって何の得にもならない。
第三段階 : よい子志向
正しい行為とは、他者に善いと認められる行為である。
(例) 彼は恐喝を働けば皆に犯罪者と呼ばれるとともに、病気の子どもにしても悪事で得たお金では喜べない。
第四段階 : 権威志向
正しい行為とは、法律や秩序、権威などの社会的なルールに従う行為である。
(例) 恩人のお孫さんが病気だからといって恐喝を正当化することはできない。
第五段階 : 社会契約志向
正しい行為とは、合理的な分析や相互の同意に基づいて決定されるものであり、さまざまな価値観や見解を認めたうえで社会契約的合意に従う行為である。
(例) 教授側にも非はあるけれど、お互いに相手の持つ権利を尊重し、恐喝にまで発展させる必要は無い。
第六段階 : 普遍的な倫理的原理への志向
正しい行為とは良心にのっとった行為であって、その原理は全体的、大局的、普遍的な方向性を持ったものである。
(例) 彼は恐喝を行い、そのうえで罪を悔い償うべき。服役することになるが、それによって彼は人の命を救うことになる。
これは道徳性発達理論と呼ばれているが、必ずしも段階を経て最終段階に到達するものではなく、善悪の判断基準が自分か他者か全体かで行動を分類したものであると言えよう。
哲学には正解は無いが、心理学では不正解は無いのだ。
道徳では評価対象の欲望の程度を考える必要はない。
「善行」や「おもてなしの心」などは第六段階のものだと思う。
報酬や満足感を得ることが動機であれば第二段階であり、相手に喜んでもらおうという意識が強い限り第三段階の域を出ない。
自分の満足のためではなく、見返りを期待する考えは存在せず、人として当たり前のことを当たり前のようにすること、これが道徳観の完成されたひとつの「かたち」だと思う。
行動できる人は凄い人だ。
人は辛いことや悲しいことを経験して、そのぶん人に優しくなれる。
その人の表面に出さない心の葛藤や痛みや空洞のあることを理解し、共有し、受け容れることが必要だ。
思い込みや決めつけをせず、これまで生きてきた結果としての今現在の相手を認め受け容れ、そのことを将来にわたって継続すること。
心がつながっているということは、おそらくそういうものなのだ。
日本人は敗戦により大切なものを失ってしまったようだ。
「愛」のかたちについても同じなのかもしれない。
僕はヤマアラシになりたくない。
モグラのようになることもない。
僕は、モグラの心にできた隙間を満たすことができるような人になりたい。
(完)
肌寒くなってきたが、朝から秋晴れの雲ひとつない空。
僕は散歩に出かけていた。
昔、よくトレーニングをした公園の広場。
ここには、春の日や冬の日の思い出が詰まっている。
灌木の植樹された斜面の上端には墓地がある。
数年前、中央に近い見晴らしの良い区画を購入した。
僕はしばらくの間、その予定地をみつめていた。
なんだかふと、あそこには入らないような気がして悲しくなった。
映画『風と共に去りぬ』におけるスカーレットの父親の言葉、
"The land is the only thing to last."
この世で永遠なのは土地だけだ、という。
がんばって仕事を続けて、余生は生まれた故郷で過ごしたいものだ。
Tomorrow is another day.(明日に希望を託して)